2012年8月25日土曜日

大津いじめ事件を発端とした「ネット住民による私刑」うんぬんかんぬん

大津のいじめ問題を皮切りに、「ネット住民からの加害者への私刑」という問題が新たに浮き彫りになっている。

この問題を通して感じるのが「ネットの民度は低い」ということだ。「いじめは悪いこと」とのたまいながら、自らも「加害者に対するいじめ」に嬉々として参加する。このようなブーメラン的行動、滑稽以外の何物でもない。

確かにあんな胸クソ悪い出来事を知れば、「いじめで人を死なせるような奴に人権はない」なんて考えに至るってのもわからなくはないが、かといって自分達までいじめしてちゃ世話ないよね。


・・・・・・なんて俯瞰的で理性的な考えが一度は自分個人の考えとして定着していたのだが、何周もするとそれにも変化が訪れる。

どういうことかっていうと、このように俯瞰して「自分は物事を冷静に見れています」的振る舞いをし、感情的になっている人達を馬鹿にしている人達ってほとんどがこの問題について”考えるだけ”なんだよね。いじめ問題などの抜本的解決のために何か実際に行動するわけじゃあない。

なんかそこんところが引っかかるようになったんだよ。「大して物事考えないで感情に任せて必要以上に加害者を叩く人達」はもちろん愚かだけど、同時に、「このような人達を馬鹿にするわりに自分自身は何も行動しない、ただ問題を冷静に解剖して識者気取りたいだけ、馬鹿を叩いて自身の価値を相対的に高めたいだけの人達」も何だかなあって思う。

もちろん中には行動を起こしている人や、純粋にネット住民の程度の低さに悲嘆しているだけの人もいるだろうが、結局のところほとんどの人間が、「私は冷静に・理性的に物事考えられます。私は識者側の人間です」ってアピールしたいだけだよなあ絶対。

程度としてはどっこいどっこいだと思うが、実際に行動している分前者のほうがマシかなあ、というのが思考を何周かした今の自分の考え。行動の是非に関しては言わずもがなだけれど。

そしてそんな自分も考えるだけで行動起こしていないというブーメラン。いやあ避けるの難しいよねこの投擲武器。